他人のふんどし(失礼)で相撲をとる?
2011年 05月 08日
自分が生まれていまここにいるのも母のおかげ(もちろん父もですが)です。でもついつい忘れてしまうものです。
私の場合子どもが小さい頃は「肩たたき券」とか手作りカード、カーネーション一輪とか貰ったのも思い出です。中学、高校時代になると「物はいらないから、食事作ってくれたらありがたい」と言ってきたのに「物やケーキ」で済まされた思い出も。母は食事を作るロボットか!
そういっていた娘たちも今、毎日の食事を作ることで私の苦労がわかるだろうとほくそえんでおりますが。
先日息子から「母の日に何かプレゼントしたいけど何がいい?」と電話がありました。多分お嫁さんから頼まれたのね。
それで考えてメールするといったのですが「そうだ、その分寄付してもらおう」と。
義援金も最近すぐには行き届かないと聞いていたので下記の直接役立つところのアドレスを見つけてお願いしました。
被災地の女性、妊婦の支援ジョイセフ
または福島県に直接寄付がいくように福島県へ
また3月の私の誕生日にも次女がホテルの食事を予約してくれましたが、震災直後と言うこともあり「気持ちだけもらうから義援金にして」と言ったら快く承知してくれました。
他人のふんどしでなんとやらの寄付ですが、とてもうれしいです。
でも年取った母はそういう意味がわからず(昔自分が苦労してきたせいもある)義援金とか寄付にはとんと関心がありません。TVを見ていて「大変だ」と他人事のようです。
しかしながら先日「気持ちがあるなら私の義援金と一緒におくるから少し寄付して」と勇気をもって言いました。
そうしたら快く出してくれました。ただ田舎(父の実家の岩手や親戚の福島)には何かしなきゃと思っていたらしくお見舞いをしなければいけないか?というので送りました。
それを横目でみていて、人それぞれなのですが、母は他人にはあまり関心のないことがわかりました。年齢的にも視野(ものを見る)が狭くなることも。私もあと何年かしたらそうなるのでは?
それと母がTVを見ているとき気になるのは「差別感」があるのです。これは生まれてからの環境にもよるのですが、母の時代で良しとしなかった人たちが堂々とTVに出ていることが不満なのでしょうね。
例えて言うと申し訳ありませんが「GEI」の人たち。またそういう気がある人たち。
そういう人が出てくると「あー気持ち悪い、この人男なんでしょ」とか罵詈雑言です。私は聞くに堪えず席をたつか話題を変えます。けっこう辛いです。他にも自分の経験したことは良しとしてそれ以外は認めないという事。
それだけならいいのですがおもむろに口にするのです。
こういうことって私にとっても鏡なので、潜在意識にあるのかもしれません(絶対そう思わないけど^^)
そういうわけで…母として生きてきても、年齢とともに変ってきます。私も母の役割を終え、できれば子どもたちの心配をしないでこれからを過ごしたいと思っていますがそうもいかないでしょう。
これからは母として生きる前に人間として生きたいです。