母の人生に自分を重ねる
2015年 11月 13日
昔からなんでも取っておく人ではあったが、キチンと整理はしていない。人間始めの頃はがんばっても、だんだん年取ると目も疲れるし、気も疲れるので写真はとっても重ねるだけになってくるのだ。
今はスマホの写メはとるがプリントアウトしないで携帯の中に入っている人も多いと思う。私もそれはそれでいいと思う。最初の頃はプリントアウトしてたけれど今は止めた。時間がたって必要以外のものは思い切って消すようにしている。孫の可愛い動画がラインで送られてきても何度目かもう一度みようとすると「期限切れ」で見られない。でもま、いいか。
母の写真は古くは父の若かりし頃から始めなくてはいけない。結婚前の時の「男前」から「葬式」まであるのだ。でも私もあまりさっさっとやらずに今回はゆっくりと見ながら整理して、父親の人生の歴史を眺めている。
61で亡くなってしまったので、(私の夫もそうでした)結婚前は仕事で遅く帰り朝早く行きの生活であまり話さなかった。
孫ができて我が家に来たり、みんなで一緒に旅行したのが写真に残っている。熱海や長野、伊豆、など楽しそうな顔が嬉しい。運転手だったので道をよく知っていて旅行は私も楽しかったな。母も私と違って父を頼りに生きてきた人なので亡くなったあとは心配だったがなんとか持ちこたえて残りの時間を過ごしてきたようだ。
その写真が膨大なのだ。まず近所のお寺で写仏(仏像や観音様の下絵を塗り奉納する)していてその仲間とのバス旅行(一応お参り)遠くは高野山まで行っている。大正琴もやっていてその発表会やらコンサートの写真。「今日は老人ホームでボランティア演奏」なんて言ってたな。近所のシルバー会(老人会のようなもの)での集まり、コーラス、バス旅行、料理、手芸の教室など、行けるものはじゃんじゃん参加。
その分写真も多い。もちろん私たち家族とも出かけた写真もそのままバラであるし唯一、私と二人で京都や広島に言ったのは私がミニアルバムに入れて渡してあるのでこれはセーフ。
父の亡き後、あちこちに行き楽しんでいる様子が写真をみるとわかるが、私が尋ねると文句ばかり言っていた。「ひと部屋に六人も寝るのよ」「みんな酒ばかり飲んでるの」「旅行なのにインスタントラーメン持ってきて食べてるの」とか…だから晩年私と一緒に広島などに行った時は後から楽しかった、おいしかったとお褒めいただき私もうれしかったです。
そういうわけでまだ全然片付けは進まないけどゆっくり見ていこう。時々写真から母が話しかけている気がする、今は施設で寝たきりだけどね…
写真は先日長女の家に行ったとき。トーマスのアドベントカレンダー(チョコ入り)をおみやげに。久しぶりに折り紙を孫と一緒にしたが説明書を見てもうまく出来なくて焦りました。
写真の整理しているうちに私が渡した次女の三つの時の写真が出てきた。この洋服は私が作ったんだっけ。幼稚園の入園式にも着られるように大きめにしたけど、あっというまにより大きくなり直した。
左のは母の20代のころ。お正月とか何かの行事には髪を結ったようだ。
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