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”明日の朝神様がいらっしゃるよ”再び

12月14日に”明日の朝神様がいらっしゃるよ”の歌を紹介しました。
その詩の意味を考えつつ”ロバに乗って迎えに行こう”という言葉がきになりしらべてみました。

やはり聖書の中に”その日”にキリストがロバに乗りくるのだ。そのロバを用意するのだというようなことが書いてあるそうです。

王がこられた       
     
 「子ロバに乗ってエルサルムと入場なさるキリストについては、4つの福音書が、それぞれ書いています。(マタイ伝では、2頭のロバが連れて来られたと詳細に書いてあります。(マタイ21:7)マルコ伝、ルカ伝では、弟子ふたりが、隣村に行き、つながれていた子ロバをほどいて連れてきたことのみが語られています。ヨハネ伝は、ロバが連れてこられた経緯は、割愛しています。「イエスは、ろばの子を見つけて、それに乗られた。」(ヨハネ12:14)と記されているのみでイエスの方から進んでこれを選び、乗られた点が強調されています。

マルコ伝とルカ伝は、子ロバを連れて来るに当たっては、「主が、お入用なのです。」と言うだけで、自由にほどいて連れてくることができた点を書いています。すべてイエス様の言われたとおりであったと記しています。神は、聖書の約束通りをなさる方です。聖書は、一点一画も、違うことなく実現しています。これからも、そうなることでしょう。主の計画の進展のためならば、必ず、神の備えに出会うことを期待したいと思います。子ロバが必要ならば、必ず見つかります。主が入用だからです。これにまさる理由はありません。

  主イエスは、再び来られます。その時のしるしはなんでしょうか。
「そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。」
(マタイ第24章30節)

以上 名古屋聖書バプテスト教会の週報のみことばより


これであの”明日の朝神様がいらっしゃるよ”の詩のなぞがとけました。
イエスが来られるのを心待ちにしているエルサレムの人々(もしかして現代に生きている人々)。明日の朝ロバに乗って彼がくる。
そうしたら悲しみも苦しみももうこないという希望の歌なのですね…
それは裁きの日なのか、キリストの再臨で何がおきるのか、それこそ神のみぞ知るという事です。

クリスマスの時期に聖書を読むと深淵な気持ちになります。単純なようで深いのですが、その深さまで凡人の私にはわかりませんが…
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by sakua3619 | 2010-12-23 22:56 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)

この世に何をしに来たのか考えつつふつうの生活してます


by sakua3619