いざというのは予期しないときに来る(水害編)
2016年 08月 22日
TVによると東京上陸は11年ぶりとの事ですが、11年前というと我が家がとても大変な時でした(夫の会社が倒産したり店を出したりで夫が亡くなった頃)のであまり覚えていません。
しかしながら当時神奈川の湘南に家があり、私たちの住んでいたところは藤ヶ谷というところで文字の通り「谷」に当たるところでした。近所の高台は「桜が岡」「○○山」などとわかりやすい名前で高台にありました。
それで江の島が100ミリという大雨のとき、「床上浸水」を経験しました。ずいぶん降ると思って合羽を着て外に出てみたら、雨がうねって川のように道路を走っています。ご近所の方も心配そうに見ています。
近所に「鵠沼(くげぬま)」の由来となった「蓮池」という池があり、その辺はすでに池と道路の区別がありませんでした。そして家に戻り義母と話して家具を二階に上げていきました。日曜というのに夫はサービス業で不在でした。義母は「この辺は土地が低いから今までに何回か床下まで水が来たことがあるの」と言っていたからです。当時引地川が工事をしていて水路がうまく通ってないのも原因で国道からも流れてきたのです。
まず幼稚園から小学生の三人の子どもの水筒に水をいれて持たせ「二階でおとなしくしてなさい」(義父母がいる)といって二階に上げ、ご飯をといて炊飯器のスイッチを入れておきました。電気が止まるかもしれないからその前にとりあげすご飯だけは炊いておこうという気持ちでした。そして布団を二階にあげました。二階で義父母は受け取ってはくれましたが、「大変だね」というだけで手伝ってはくれません。今考えると60歳前半くらいで今の私よりずっと若かったのに!
頭の中が真っ白の状態でいろいろと少しでも高いところへとベッドの上にテレビを置いたり(買ったばかり)電気製品を押し入れに押し込んだりしましたが、畳の間からじわじわ水が上がってきて本当に「あっ」というまに浸水が始まりました。本がびっしり詰まった本棚や、電気ストーブ、冷蔵庫などが水で「フワッ」っと浮き始めたのにはびっくりしました。
そして最終的には家の中でも床上30センチ以上になり、庭に出てみると地面から50センチくらいの水が流れて車の中に入ってしまっていました(車はだめになった)
後始末が大変でした。実家の父母や夫の友人にも来てもらい、畳をあげ(全部だめ)衣類は全部洗い、捨てなければいけないものもありました。毎日扇風機を回し、水が入って泥臭くなった押し入れの中に空気を入れ続けて一か月くらいかかりました。
畳の部屋を板の間にしたり、だめになった床や壁を直したりで100万くらいはかかったと思います。当時{結婚10周年}ということでひそかに「家族でハワイ!」を計画してましたが、おじゃんになりました。
重いので本箱の下部に置いてあったアルバムは毛細現象でページは水に浸ってました。写真を見つつ、状態がいいものとダメなものを分けて、残すものを天日で庭の草の上にポイポイと置いて干しました。すごく気の長い作業でした。
でもこの作業をしながら「アルバムなんてそんなに大事かな?なくてはならないものなのかな?」と思いました。以来、形にならなくても思い出が心の中にあればいいと思い始めたのです。
後日近所の方たちとこの事件(!)について何度も話しました。
「まったくうちも写真のアルバムは下の方に置いてあったからダメになった。でもきれいな箱とか紙類はぽんと高いところに置いてあったから大丈夫。反対だったらよかった」「いざとなると何がどこにあるか分からなくなるよね。日頃きちんとしていないといざという時の持ち出し物が何か考えておかないとね」など私自身も、みんなにとっても良い教訓になりました。
(写真は通称「ハス池」。この池のおかげで子供たちも心豊かに幼年時代を過ごせたと思う)
私はこれ以降「断捨離」に励んでますが、いつの間にか忘れてしまうものですね…
実は「火事」も経験しているのですがまた別の日に。
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