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ざわざわ…

鎌倉観音めぐりが終わった5月始め頃から心の中も外もざわざわし始めた。

私は回りで起こることはあまり気にせず、その時その時で「こうなんだろうな~」と思いつつ過ごしている。
自分もその中にのめりこむことはあまりない(ようにしてきた)。
同調してしまうと苦しくなる場合もあるから。

それは娘の病気が始まって自分自身も苦しんだ経験からだと思う。
当事者も苦しいが回りのものはもっと苦しいこともある。親だと余計に。
なので自分をしっかりもって冷静に対応しないと中心がなくなり、不安定になると思った。

夫が亡くなり環境が激変して自分の立っている位置がずれないように過ごした一、二年が過ぎ、少しゆとりが出てきた今年。静かに楽しく生きていこうと年頭に思ったが…
でも今度は夫と過ごした年月の体験、その時その時の情況、言葉、反応、自分の感情がどんどんと出てきている。もちろんそれまでも毎日起きると彼の顔がぱっと浮かんでは消える毎日ではあったが。

私だけではなく近い方が亡くなった場合、決してその存在を忘れることはなく、いつまでも心の中でいろいろな思いを反芻しつつ人は生きている。身近でいうと母が夫(父)を亡くしたときは3年くらい元気がなかった。
でも母は本来しっかりしていて楽天的な面もある人なので時間とともに少しずつ以前の母になり私はそれを横目でみてきた。(なので母に似ている自分もこうなるかもと思ったものだ)

多分私は三年目にしてやるべき後始末が終わり始めたので、ちょっと落ち込み始めたのだろう。
こういうことは必要だから起きるのだと思う。
私の場合、いっていいかわからないが晩年は決してhappyな結婚生活ではなかった。
でもパートナーがいるからこそ家族がいて楽しいこともあり思い出もある。

特に彼と一緒の最後の10年は仕事もなくなり生活のメドもたたなくなり、じいちゃんばあちゃんもいて私は頭の中に細い針金のような糸が何本もはられている感じで過ごした。笑いも消えた。
そのときの対話、応答がまるで謎解きのように出てくる。

なぜあんなに借金したのか?私に黙って家を担保にしたのは?何を考えて店をやっていたのか?
家庭をどう思っていたのか?私は力になれなかったのか?
なぜもっと心を開いて話し合えなかったのか?
などの裏に彼の孤独、焦りを感じ、何とも言えない自分の無力感を感じる。

…すべて終わったことだがその時の感情をもう一度味わいながら静かに時間がたっている。
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by sakua3619 | 2009-06-06 11:23 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)

この世に何をしに来たのか考えつつふつうの生活してます


by sakua3619